志野茶盌 Chawan, Shino
加藤 唐九郎/ TOKURO KATO
終生まで、土を探し続けていたという加藤唐九郎先生。
昭和40年半ば、自作の「貫道」「唖幌」について「二箇の土の発見は、わたくしにとっては、人類が初めて月面に立った喜びに匹敵するものがあった」といった。
桃山陶から離れ独自の志野をつくられ、唐九郎志野が爆発した瞬間であった。
釉の厚みと白さが際立ち、緋色は、釉縁や柚子肌のくぼみといった土に近い部分に現れている。絵は、具象化したものではなく、一息でくり出された筆の勢い、流れるような筆さばきで、余白をいかしたものになっている。
高台脇に「一ム」の刻銘。
昭和40年半ば、自作の「貫道」「唖幌」について「二箇の土の発見は、わたくしにとっては、人類が初めて月面に立った喜びに匹敵するものがあった」といった。
桃山陶から離れ独自の志野をつくられ、唐九郎志野が爆発した瞬間であった。
釉の厚みと白さが際立ち、緋色は、釉縁や柚子肌のくぼみといった土に近い部分に現れている。絵は、具象化したものではなく、一息でくり出された筆の勢い、流れるような筆さばきで、余白をいかしたものになっている。
高台脇に「一ム」の刻銘。
13.8 / H8.7cm
共箱 / with box signed by the artist
売約済 / Sold
共箱 / with box signed by the artist
売約済 / Sold