堂本印象 京洛聚秀 DOMOTO Insho Picture album of 12 people with Kyoto connections
書画/ CALLIGRAPHIC WORKS
本作は12人の京都にゆかりのある人物を描いている。
1枚目に登場する人物は賣茶翁という日本の煎茶の祖と呼ばれる人物にであり、洛中に「通仙亭」という庵を構え、茶を売りながら禅や人の生き方を説き、多くの文化人が通った。2人目は松尾芭蕉。有名な「奥の細道」を始め、嵯峨野にある「落柿舎」で「嵯峨日記」を記したといわれている。3人目は本阿弥光悦で江戸時代を代表する数寄者である。刀剣の鑑定を家業としたが、陶芸や書、蒔絵などさまざまな分野で才能を発揮し多くの作品を残した。また京都洛北の鷹ケ峯に光悦村と呼ばれる芸術制作の土地を作り、文化の発展にも貢献した。4人目は与謝蕪村で、俳人として全国を回り、そして画家としても名を残す人物である。5人目は石川丈山で、洛北に「詩仙堂」を築いて、江戸時代の漢詩や朱子学の第一人者として知られる。6人目の池大雅は、南画家として多くの作品を残し、中でも与謝蕪村と合作した国宝の「十便十宜図」は傑作である。7人目の頼山陽は、江戸時代後期の日本を代表する漢学者で、歴史・文学・美術などのさまざまな分野で活躍している。8人目は松花堂昭乗である。書道・絵画・茶道が堪能で、近衛信尹、本阿弥光悦とともに寛永の三筆と称される。9人目の田能村竹田は、豊後竹田で生まれ、京都で多くの文人と交流し南画家として有名。10人目は、大石良雄で、通称大石内蔵助として知られる。吉良邸討ち入り前に山科に隠居を装ったとされる。11人目は、明恵上人を描いており、鎌倉時代に活躍した高僧である。「夢記」は、上人の書である。最後の青木木米は、陶工や絵師として活躍し、京焼の名工として数多く作品を残している。
昭和8年に堂本印象が描き、箱書の「流芳」には後世に名をのこすという意味があり、作者の京都への想いが強く出ている作品である。
1枚目に登場する人物は賣茶翁という日本の煎茶の祖と呼ばれる人物にであり、洛中に「通仙亭」という庵を構え、茶を売りながら禅や人の生き方を説き、多くの文化人が通った。2人目は松尾芭蕉。有名な「奥の細道」を始め、嵯峨野にある「落柿舎」で「嵯峨日記」を記したといわれている。3人目は本阿弥光悦で江戸時代を代表する数寄者である。刀剣の鑑定を家業としたが、陶芸や書、蒔絵などさまざまな分野で才能を発揮し多くの作品を残した。また京都洛北の鷹ケ峯に光悦村と呼ばれる芸術制作の土地を作り、文化の発展にも貢献した。4人目は与謝蕪村で、俳人として全国を回り、そして画家としても名を残す人物である。5人目は石川丈山で、洛北に「詩仙堂」を築いて、江戸時代の漢詩や朱子学の第一人者として知られる。6人目の池大雅は、南画家として多くの作品を残し、中でも与謝蕪村と合作した国宝の「十便十宜図」は傑作である。7人目の頼山陽は、江戸時代後期の日本を代表する漢学者で、歴史・文学・美術などのさまざまな分野で活躍している。8人目は松花堂昭乗である。書道・絵画・茶道が堪能で、近衛信尹、本阿弥光悦とともに寛永の三筆と称される。9人目の田能村竹田は、豊後竹田で生まれ、京都で多くの文人と交流し南画家として有名。10人目は、大石良雄で、通称大石内蔵助として知られる。吉良邸討ち入り前に山科に隠居を装ったとされる。11人目は、明恵上人を描いており、鎌倉時代に活躍した高僧である。「夢記」は、上人の書である。最後の青木木米は、陶工や絵師として活躍し、京焼の名工として数多く作品を残している。
昭和8年に堂本印象が描き、箱書の「流芳」には後世に名をのこすという意味があり、作者の京都への想いが強く出ている作品である。
お問合せ番号 No.C-15
共箱 / with box signed by the artist
35.8 / 31.5cm 画帖 / Album size : 48.5 / 44.5 / 7.8cm
¥2,750,000(税込/including tax)
共箱 / with box signed by the artist
35.8 / 31.5cm 画帖 / Album size : 48.5 / 44.5 / 7.8cm
¥2,750,000(税込/including tax)