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刻花壷 Vessel with incised Chinese poem, Black Glaze

石黒 宗麿/ MUNEMARO ISHIGURO
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水雲無住自由身
一世清貧林下人
随處逍遙春歳々
戯花胡蝶夢耶真

水雲無住、自由の身、一世の清貧林下の人、随処逍遥すれば春歳歳。
花に戯むる胡蝶夢なるか 真なるか。

【大意】
行雲流水のように処定めず。 巡り歩く自由な身分である。
一代の間、櫟林の下に清廉なるが故に貧乏をして来た。
こうしていたる処へ、さまよい歩けば、春は年毎にやって来る。
夢が胡蝶になって花に戯れて楽しく暮らせるなんて、夢であろうか、夢でなくて真実なのであろうか。案外私は楽しい人生を過ごしているようだ。

たっぷりと掛けられた黒釉には、上のような詩が刻まれている。
特定の師を持つのではなく、古陶を師とした宗麿先生。鈞窯、唐三彩、磁州窯、宋赤絵、唐津…現在のように材料や技法が分析・研究され、完品や優品を仔細に手に取ることもままならないような時代に僅かな陶片を頼りに幾度も失敗を重ねて来られた。

宗麿先生の座右の銘は荘子の斉物論からの「栩々然(くくぜん)※」だったそう。
ご自身の人生と、座右の銘を重ねて、刻まれたようだ。
畳付きには波紋のような渦巻きの中に円に「宗」の印が入る。


※荘子 斉物論「栩々然」

『昔者、莊周、夢爲胡蝶、栩栩然胡蝶也、自喩適志與、不知周也、俄然覺、則蘧蘧然周也、不知、周之夢爲胡蝶與、胡蝶之夢爲周與、周與胡蝶、則必有分矣、此之謂物化…』

【通釈】昔、荘周は蝶となる夢を見た。蝶となって浮き浮きと飛びまわった。愉しくて快適だったからか、おのれが周であることを自覚しなかった。にわかに目が覚めてみれば、驚いたことに周であった。周が夢で蝶となったのか、いま蝶が夢で周になっているのか、分からなかった。周と蝶とは、しかし必ず区別があるだろう。
「万物斉同(全ての物は等しく同じ価値を持つ)」と考え、どちらも価値あるものと捉え、そうすることによって人生は楽しくなると言っています。
お問合せ番号 No.MI-73
共箱 / With box signed by the artist
12.5 / H22.8 cm
¥1,100,000-(税込 / including tax)

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